「御社殿」
厳島神社は、江戸時代は洲本港にあったと伝えられ、明治に入り城下町を東西に二分する外堀が埋め立てられて以後、その南半部が厳島神社境内地と定められ今日に至っている。明治初年の御社殿は、木造の大きな御社殿であったが、平成2 年2 月26 日、不審火による火災のため全焼。すぐさま神社、総代、青年奉賛会を中心に再建復興の募財活動に取り組み、2 年後の平成4 年4 月15 日には多くの方々の御浄財により見事竣工した。御社殿は鉄筋コンクリート製の権現造りである。平成5 年には、傾きかけた木造の赤鳥居も鉄筋コンクリート製に建て替えられた。

「社務所・齋館」
 社務所、齋館は本殿向かって左手にある。社務所1階に神符・授与所がある。ご祈祷の受付、ロビーは1階入ったところになる。2階は齋館として各種研修や会議のための洋室の大広間、舞台兼用の和室として一般の利用に供している。大広間では、最大100人ほどの収容が可能である。和室は20畳の畳の部屋でお茶室や小会議室としての利用が可能である。茶華道の研修、寄席、演奏会を始め、絵画や写真などの美術展にも利用されている。
社務所、齋館は木造であったため、平成7年の阪神淡路大震災により大きく痛み、神社境内の西側を走る市道の拡幅工事により社務所を移転せざるをえなくなるに際し、平成17年、社務所、齋館を合体して鉄筋コンクリート製の防災施設として再建。併せ、旧社務所地に回廊を新築、古くなった舞楽殿も再建し、境内地は一新した。

「狛犬」
境内入ってすぐに狛犬が出迎える。
砂岩でできているため近年痛みが目立つ。
明治30年の奉納である。

「手水舎」
境内入ってすぐ左手にある。

「出世稲荷社(しゅっせいなりしゃ)」
出世をつかさどる稲荷大明神。
境内入って右手にある。

「荒神社(こうじんしゃ)」
火の神、台所の守護神
ホノカグツチノカミを祀る境内入って左手、手水舎の右横に鎮座。

「稲基神社(いなもとじんじゃ)」
江戸時代の藩主蜂須賀氏の筆頭家老稲田氏とその家臣たちの守護神。
明治初年の「庚午事変」により稲田氏と家臣たちは北海道静内に開拓移住。
稲基神社も北海道へ移設されるが、洲本市と静内町が姉妹提携を結んだことを契機として、分社として昭和51年鎮め祀る。
境内入って右手、出世稲荷社の左横に鎮座。

「松尾芭蕉の句碑」
江戸時代から淡路島は俳句が盛んであった。
俳聖芭蕉の没後150回忌を記念して建立された
荒神社の右隣りに立つ。
『雲折々人をやすむる月見かな』

「鈴木重胤(すずきしげたね)の歌碑」
鈴木重胤は淡路島出身の幕末の国学者。
大國隆正、平田篤胤と深く交わり著書「日本書記伝」や「祝詞講義」を著し、注釈の基礎を築く淡路の偉人の一人と讃えられている。
境内入って左手、手水舎の左横にある。

碑文「まつ杉はまだほの暗き木の間より曙いそぐ山桜かな」

「お登勢の碑」
「お登勢」とは明治3年5月13日、城下町洲本で勃発した「庚午事変」を題材にした小説である。「稲基神社」と同時に立てられた。
揮毫は作者船山馨氏である。
稲基神社の左手前に立つ。

「洲本八狸 武左右衛門(ぶざえもん)」
江戸時代、洲本城下町は八匹の狸に護られていた。
武左衛門はその一匹である。
戸締まりの悪い家や火の始末の悪い家をこらしめていたという防犯、防火、災難除けの神として親しまれている。

「注連柱(しめばしら)」
高さ5mの御影石でできた大きな柱石。
聖域を示す注連縄を張るための石の柱である
右の柱には「無声無臭」、左の柱には「至神至虚」という文字が刻まれている。
「声を出さず臭いも出さず心静かに神へと向かう」という意味だろうか大正13年の建立である。

「参道」
注連柱から拝殿へと石の参道がつづく。
令和2年秋、天皇陛下御即位奉祝記念事業としてコンクリート参道から石畳参道へと改修された。

「舞楽殿(ぶがくでん)」
例大祭である弁天祭を中心に、琴、尺八、詩吟、詩舞、舞踊、大正琴、淡路島踊り、式包丁の儀、カラオケなど、種々の技芸を技芸上達の神である弁天様に奉納する場である。
餅撒き、豆撒きなどもここで行われる。

「干支の大絵馬」
拝殿向かって左手に幅3.3m、高さ2.7mの干支の大絵馬が立つ。毎年立て替えられる。
絵馬の背後の三熊山に洲本城の天守閣が見え、記念撮影のビュースポットになっている。

「赤鳥居」
明治に入り城下町の外堀が埋め立てられ、その南半分が厳島神社の境内地と定められ、洲本港にあった厳島神社が明治初年に遷座。
赤鳥居はそのときに立てられた。
現在の赤鳥居は平成4年にコンクリート製に
建て替えられたものである。

「弁天銀座」
赤鳥居から厳島神社の参道となる。
明治に入り参道の両脇に郵便局や電信局、商工会館や様々な商業施設ができ、淡路の経済の中心地となる。
戦後、この参道に闇市が立つが、今は闇市も整理され弁天銀座としてレトロな雰囲気が残っている。